本日の一冊 9/16 『トイレの話をしよう』

いきなりびろうなことで失敬。
(※尾籠=不潔であること、またはそのさま 英:dirty)
この話題は虫の話題と並んで私の関心の高い部分で。
従って、この件に関する本を結構手に取る。
私が嫁に行けないのはこのため、
ではないはずですが(たぶん?)
モテ系の女子は排泄物のニオイを消す薬などを服用してみたり
さも、私は件のものを持ち合わせておりません。
もしくはピンク色でバラの香りがする
何かを排出しております
とでも言うのだろうか。
ウソツキめ。
どんな美人でもその腹の中には
アレがとぐろを巻いているのである。
しらばっくれたって駄目だ。
と、こうなるともはやただの言いがかりか。
とはいえ、この本の著者も割と美人な女性ジャーナリストであるようで
その本とは


『トイレの話をしよう 世界65億人が抱える大問題』 ローズ・ジョージ著
です。
私自身、田舎暮らし最大のハードルはトイレである。
と断言いたします。
トイレの話題が好き
というのは、排泄物が好き
という訳ではなく(変態か)
そこに問題意識が強い
と、理解していただきたい(エヘンエヘン)
人もはばかるこの話題にこそ
人と社会が抱えるいろんな問題が反映されていると考えている
ということでございますよつまり。
ここで、こんなに言い訳がましくなってること自体
この問題が何世紀もかけて、たいして進展していない原因だったりもするのか。
くさいものにフタをしたって消えないんである。
悪臭や不快感というのは
それを解消するために行動せよ
という体からのメッセージだと思う。
食事をして排泄をする
という人間の暮らしの基本で
出口の部分がなんかウヤムヤ。
くさいものにはフタをしたり
水に流したり、
循環という点では
江戸時代のエレガンスさ(食事→便所→下肥汲取→畑→再び食事に帰結)
に劣ってるような気がする。
下水は目の前から汚物を消し去るものの
それだけに、人々は流すものに無頓着になり
毒性のあるものや、分解しにくいものも
平気で下水に流すようになってしまった。
そうするととりあえずは目の前から消えるけれど、その行き着く先は?
処理場の汚泥の行方は?
ここに、最近よく耳にする
あの問題にも共通する何かを感じる。
だから今、何ができるかって聞かれると
まずは、分解されないようなものを
使ったり流したりしないという程度かもしれないけど
それだって実はまだちゃんとできてない。
偉そうに問題提起しておいて
恥ずかしいことだと思うけれど
私も最近、水性のペンキを塗った道具を流しで洗ったり
便槽に殺虫剤を入れたりした。
だけどそれを一個ずつでも、別のもっとエレガンスな工夫で
解決できるようにしていきたいのだ。
ごく自然に、意識せずに
自分の中のそういう違和感が消えた時
美しい循環ってやつが現れるのかもしれない。

トイレの話をしよう 〜世界65億人が抱える大問題
余談:レディガガあたりが次にやってみそうな扮装の女の子のイラストが表紙です。