本日の何冊か 9/30

9月も最後になりました。
またもや数日飛ばしてしまったので
本日もまたテーマにそって何冊か。
それで本日のテーマは
いのちを食べることと与えること
について

普段から私はお肉、ことに四つ足の肉をあまり食べない。
別に確固たる主義主張や強い信念あってのことではなく
肉や魚は野菜よりも高価で、すぐに傷む
ということと、肉魚がないならないで
割合と平気なので
それならば買ってまで食べない。
という程度のことである。
だから人様からいただいた場合は
普通に食べる。
ただ、そうやって普段食べつけないせいか
あるときから、肉を沢山食べるとお腹をくだしたり
お腹が重たく感じるようになった。
それでもたまにご近所の方から
イノシシの肉
というのをいただくことがある。
おおきいのをおさえたき、わけちゃろ
(おおきいのをつかまえたのでおすそわけ)
といって、ふだんあんまり見ないようなでっかい塊肉が
どかんと届けられる。
とてもではないけれど、ひとりで食べる量ではないので
料理して友達と食べたりするのだけれど
普段のわたしの消費量からすると
びっくりするほどの量を突然食べてしまう訳で
はじめは、またお腹壊すのではないかと心配した。
ところが、大量に食べたその晩も
翌日も、普段よりちょっとお腹が重たいなぁという以外に
特に不調もなく、あれっ?と拍子抜けした。
他に、同じようにいただいた鹿の肉をたくさん食べた時も平気だったので、
どうやら、私のはらくだしの原因は
お肉そのもの
ではなくて
その成り立ちにあるのかもしれないと思うに至った。
野山をかけめぐった獣の肉では平気なのに、
食肉用に飼育された獣の肉でおなかをくだすのは
その肉の主のかなしみのせいかもしれないと
ぼんやりそんなことを思ったのだ。

手塚治虫の漫画『ブッダ
ブッダ全12巻漫画文庫 (潮ビジュアル文庫)
の中で冒頭
寒さと飢えで死にそうな修行僧のために
たき火に飛び込むうさぎの話が出て来る。
修行僧は泣きながらその肉を食べる。
その時のうさぎは、むしろ喜んで自ら
身を呈している。
このシーンの意味をはっきりと捉えられないまま
それでもずっと印象に残っていた。
そんなことを考えていたら
『凧になったおかあさん』
凧になったお母さん (戦争童話集 忘れてはイケナイ物語り)
という絵本のことを思い出した。
小学生の時に読んだのでうろおぼえではあるけれど
戦争中、空襲のさなかに迫る炎から赤ん坊をを助けようと
母親が自らの血液で赤ん坊を濡らし続けるという話ではなかったかと思う。
その時は戦争の悲惨さを伝えるお話だ
と思っていたのだけれど
先のうさぎの話とあわせて考えるに
これは苦しみや痛みの話ではなくて
与え尽くす。
ということが絵描かれている本ではないかと思った。
この本に出て来る母親は
自分が赤ん坊のために犠牲になることについて
悲しんだり、嘆いたりしている様子はない。
この作品とは随分おもむきが違うけれど
リリーフランキーさんがお母上と自分の生い立ちについて書いた
『東京タワー』
東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~
という有名な小説の中でも
息子のために、猛烈に働き
煩わしい程の愛情を注ぎ続けた母親が病気になって
それでもなお、これまでのことを
「苦労だと思った事はない」
と言っているシーンがある。
体を壊すまで脇目もふらずに働いたということが
自己実現や、自分の物質的な充足のためではなくて
誰かのためであって
そのことが、彼女にとって、苦しみではなくて、喜びだった
ということに対して
まったく違和感は感じなかったし
むしろ、自分を充足させても
本当の幸福感というのは
得られないのかもしれないと思った。
「我」というものが消えるほど
与え続けることによって、
何かが減るのではなくて、むしろ無限に拡張していくような
全体に溶けていくような
そんな恍惚感があるのかもしれないと思った。
母というものは
子どもにゆっくりと食べられているのではないか
と思ったことがある。
アンパンマンドラえもん
母の象徴だという説も聞いたことがある。
この日本の2大人気キャラクターはそれぞれ
こどもたちに与え続ける。
彼らが自分の頭部(アンパン部分)や
ひみつ道具の対価を要求しているシーンを、少なくとも私は見た事がない。
その身を呈しても
それは犠牲ではなくて
喜びだといえる状況があるとすれば
食べている方もまた、食べる相手にたいする
愛情や感謝があってこそ
なんじゃないかな。
そしてそれは、相手が植物でも動物でも
同じのような気がする。

何を食べてもいいのだけど
心から感謝できるものだけを
ということが
実は一番の養生法だったりするのかも。

このテーマについては
こちらの2冊もどうぞ。
いのちをいただく
ぼくは猟師になった

ちなみに宮沢賢治の童話には
このテーマがひんぱんに見え隠れしている。
そういえば彼はベジタリアンだったのだ。
宮沢賢治の菜食思想