ほんとうに田舎の本屋

ながらくのごぶさたです。
あまりにも更新しないもんだから
心配した遠くの友達が
お菓子やパンを送ってくれました。
心配さしてすみません。
でもうれしいなぁ。おいしいなぁ。
と、昨夜は台所でついついの深夜つまみぐいであります。
山奥にひとりぼつちのようでいて
誰かが気にかけてくれていると気付くのは
心に灯るあたたかくてあかるい光なのだな。
むしろそれさえあれば
生きて行かれるような気がします。
だいじょうぶ。大丈夫。
おちこんだりもしたけれど
私は元気です。

さて、ここをほったらかしてたのはそう
例の案件がぜんぜん進まなかったからに他ならず
8月から探し続けた物件は
11月になってもてんで決まらず、
年内になんとかしようと思っていた私は
風邪をこじらしたり
鬱が停泊したり
ドロドロに煮詰まって
焦げ付いたみたいになっておりました。
しかし食欲は落ちるどころか過食気味

どうやら行く所まで行かないと
気がつかないのが常であります。
宿題もいつもぎりぎりにならないと
取りかからない質であります。
煮詰まってみてあらためて
よくよく考えたなら、
叩いても蹴ってもなだめてもすかしても
開かない扉というのは
そっちじゃないよ、ということなんじゃないの
というようなお話は、なんだかかつて
自分でそんなこと書いたような...
ふと我に返ると
いろいろと思い当たります。
つまり、田舎で本屋をはじめる
と言っておいて、
麓の街も田舎は田舎ですけど
やっぱ街の体だわね
ということやら
畑して動物飼いたいとか言いつつも
麓で本屋はじめたら、それもちょびっとになりゃせんか。
ということとか。
つまりは、この場所
標高400mで本屋。という選択肢を
はじめからナシということにしていた所が
そもそもの自分の望みから
ずれてたのかも。
と、思うに至ったのでした。
そう考えてみると
今お借りしている家は
なぜかだだっ広い土間の台所にシンクが二つ。
さらに、洗濯機置きとおぼしき排水口の上に蛇口ひとつ
さらに外にはトイレも二つ。
二階のバーカウンター(!)に流しひとつ。
トイレの横に手洗い場。
母屋の横には物置になっている隠居部屋がひとつ。
ひとり暮らしをするには多すぎる設備が
はじめからいろいろとあったのでした。
それでも、はじめからこの場所で、とならなかったのには
場所の問題以上に
自分の生活場所に人がやってくることに
抵抗があったからでしょうか。
蜘蛛の糸に登っているカンダタのように。
たくさんのパンを独り占めしようとしているあさましさが
あったのかもしれません。
だから、とことん行き詰まってはじめて、
というか、迷いに迷った末、
結局そこに帰り着いたという訳なのです。


そして先月
そのことを家主さんにおそるおそる相談すると
彼女は拍子抜けするほどあっさりと
ここでやったらいい
と言ってくださったのでした。


実際これまで
場所がどこだろうと、それがいいものならば
私はそこを訪ねて行きました。
それが街なかであっても、僻地であっても
その店さえあればという場所が
私にはたくさん思い当たります。
むしろ、ヘンな所にある方がわくわくする
ということだってありました。
ただ、そこまでして行ったのに
たいしたことなかったりしたならば
絶対に二度と行かないというのが
まわりに何も無い僻地営業の
おそろしいところでもあります。
だからこそ
こんな所まで来てよかった
また絶対来たいって思っていただけるように
この場所の居心地をもっと良くしなくてはと
あれこれ準備をはじめました。
私なりにまた絵なども描いてみるつもりです。
愛のあるアドバイスやお叱りなども。
ええ、ぜひどしどしと。
最近、まわりの人に叱られながらハッパかけられながら
なんだかうれしくなってきたりして
マゾの気があるような気がしてきたわたくしです。
よろしくおねがいします。