大事なことお金のこと

このテーマ書くの
たぶん2回目ぐらいかな。
私はどうもお金のことを話すのが苦手でした。
仕事を頼まれるとうれしいのです。
誰かに何かを尋ねられたり
協力を求められるということ
つまり
誰かから必要とされる
ということは、人が生きていくにあたって
飲み食いとおなじぐらい必要な要素だと思うのです。
ところがそこに対価としてのお金が登場してくると戸惑います。
ありがとう。
って言われるだけでお腹がいっぱいになればいいのに。
と、思ったこともあります。
そんな風だから、引き受けた仕事の報酬を請求するのをはばかって
もやもやした経験は一度ではありませんでした。

つまりは心のどこかに、お金に対するうしろめたさや
否定的な考えがあったからでしょうか。
お店をはじめるために
お金を借りることに
どこか、ふっきれない気持ちがつきまとっていました。
その迷いやゆらぎの現れか
私の申請への回答は、なかなか帰ってきませんでした。
麓の町で物件が見つからなかったように
もう借りれない方が、むしろいいのかもしれない
とも思いました。
でもそうなると、実店舗の営業をスタートできるのは
また、少し先延ばし、ということになるのは目に見えていました。
計画の段階で、既に色んな人を巻き込みました。
現実にお店がスタートしなくては
私を後押ししてくれようとしているその方達に
きちんとお礼をすることもままならない訳です。
駄目なら駄目で早く返事が欲しいと
金融機関の担当者の方に、詰め寄るような電話をしたこともあったのですが
遅くなっている意味を冷静に考えると
馬鹿な事をしたものだと反省しました。
断るのは簡単な案件に対して
返事に時間がかかっているということはつまり
あちらがわで何とかしようとして力を尽くして
下さっている誰かがいる
ということに違いないと、気がついたからでした。

返事が来なくて悶々としている最中に
もう処分する本があるから
よかったらどうぞと
何冊かの本をいただきました。
普段私が絶対に買わないような本ばかりでした。
それでその中に、お金に関する自己啓発本
何冊か混ざっていました。
出たな本の妖精。
こんな時はわかりましたと、素直に読むべきなのです。

そこにはやっぱり身につまされるというか
心当たりのあることが
いろいろ書かれていました。
つまり
私がお金のことを口にするのをはばかったり
下品だといって敬遠したりすることは
お金に対して失礼なことであって
そんな態度では彼らに嫌われてもしかたないのだ
ということだったり
常に良い所に、良い人に、お金が渡るように
お金が気持ちのいいように気遣うことで
お金はきっとまた戻って来てくれるのだ
というようなことでした。
あらゆるものに神は宿るというのは
お金も例外ではなく
大切にされてきたものには力がある
という真理はむしろ
お金というものの中にこそリアルに実感できる
ような気がします。
昔から悪銭身に付かず
とかいうじゃないですか。
それとおなじように
100円でも大切に、良い方向に使えば
力になってくれるように思うのは
やっぱり気のせいではないはずです。

先週の金曜日、再度延期されていた返答の期限が来たので
おそるおそる問い合わせをしてみたところ
電話の向こうで、
「通りました。」
と返事がありました。
そのあと「結構がんばりました」
と担当の方の一言。
やっぱりそこにいたのは解析機械なんかじゃなくて人だったのでした。
ありがたい重み。
こんな風にあちこちで協力してくれた人達にちゃんと報いるような仕事を
できなければ人として恥ずかしく。
でも、他の人を巻き込まなければ
油断するとすぐに立ち止まってしまいそうな
自分をここまで追い込めなかったかも。
と思ったりもします。

お借りしたお金はすべて
受け取るべき人に、仕事に。
ありがとうと言って手渡したいと思います。
神様にお供えするように丁寧に。
いい仕事をする人たちの糧や支えとなるように。
そして、新しい渦をきれいにまわして
お借りしたものを
きちんとお返しできるように
また次の人に手渡せるように。