カラクリ

生き物をばらばらにして、もとどおりに繋ぎ直しても、
再び動いたりすることはない。
つまりフランケンシュタインに命は宿らない。
わたしたちは集約と分業で豊かになると信じた。
あらゆるモノを切り刻んで、つなぎなおした。

隣の畑に生えている野菜よりも外国から来た野菜が安いと
そのカラクリを疑いもしなかった。
勝ち組と負け組が作られて、
豊かさは奪い合わねばならないものになった
騙してでも売れればいいのだと云う人がいた。
自分の友達でも騙すのだろうか。
毒だと知っていて、
自分の子どもにもそれを食べさせるのだろうか。
そんなことはできないはずだ。
少なくとも私はそう信じたい。
そんなことがまかり通った根っこには、
かつてあった小さな繋がりと循環を
ばらばらに切り刻んでしまったことがあるんじゃないだろうか。
ささいな便利さを手に入れたのと引き換えに、
自分の手でできることの楽しみを失ってしまったからだ。
はじまりとおわりを引き離して、
お互いを見えなくしてしまったからだ。

深いダメージを受けて欠損した生物。
生きてさえいれば、失われた機能は他の部分が補うという
視覚を失った人は、他の感覚が極端に鋭くなり
死んだ細胞の機能を補うために別の細胞が形を変える。
そこに命が残っていればの話。