図書館

小学校に上がってはじめて図書館を案内された時のこと、
木造校舎の片隅、少し黴臭い空間の壁一面に本があって、
その中で好きな本を一冊借りてもいい、
と、先生はおっしゃった。
どれも読んでみたくて一冊だけを選ぶのが大変だったけれど、
そのとき借りた本はたぶん
「人形の家」(有名なイプセンの方ではなく、ルーマーゴッテンという人の著書で子ども向きの小説)という本だった。
一年生にしては、ちょっと文字が多すぎて全部読めないままに、
返却期限が来てしまったように思うけれど、
すてきな挿画に惹かれて手に取ったのを覚えている。
その後、学校以外にも図書館というものがあるのを知った。
しかもそこには学校と比べ物にならないぐらい膨大な本がある、
ちょっと夢のような場所だった。
はじめは子どもの本のコーナーだけをうろうろしていたのだけど、
あるとき、大人の本のコーナーが、
子どもの本のコーナーよりもはるかに広い、
ということを発見した。
そして、そっちの方がはるかに面白そうだということも。
てはじめに写真や絵が沢山ある実用書や、カラーブックの類を借りてみた。
貸し出しカウンターで、ワタシは大人の本を読んでるんだからね。
というコドモじみたイチビリみたいなのがにじみ出てたんじゃないかな。
なにしろ子どもがほとんどいない、本の森でこどもひとり本を探していることが、
ちょっと大人になったみたいでうれしかったのだ。
さらに、好きな本と同じ著者の本を調べて予約するとか、
同じジャンルの本を探すとか、
そういう繋がっていく読書の楽しみを覚えたのも図書館だった。
図書館なら、ちょっと読めないかも、
と思うような背伸びをした本にも気軽に手が伸びる。
そのちょっとした背伸び、が読書の幅を広げて行く。
案外面白くてさらにそこを掘り下げたり、
難しい中で他のヒントを見つけて、新しいジャンルに飛び火したり。
その平行移動だったり、ジャンプだったり、
そういうシナプスが繋がる感じが読書の醍醐味かも。
と思う。
読めば読むほど繋がりが増えて、
ジクソーパズルみたいに、ある程度つながった時点で、
そこに描かれているものの全体像がぼんやりと見えて来る、
という感じになることがある。
これでもかと投入して、ある器、これは大きさのわからない器なんだけれど、
ここからあるとき、ぶわっと溢れる。
その抽象的な感覚を求めて、
とりあえずなんとなく食指が動く方に、
とりとめもなく、
今日も本を手に取る。
そんなことが気軽にできてしまうのも図書館があってのこと。
引越しのたびに、近くに図書館があるかどうか、を条件のひとつにしてきたのに、
今の家はノーマークだった。それなのにたまたま、すぐ近くに図書館があって、
しかも自転車を使えば3つの図書館が利用できる贅沢な立地だった。
とりあえず長年通い詰めたかいあってか、
図書館の神様は私の味方らしい。