ゆめ

一昨日の晩から昨日の朝が徹夜だったので
9時の時報を聞いてすぐにおふとんに入った。
目が覚めたのは8時前
こんなに長い時間寝たのはひさしぶりだ。

それでかどうか
昨日の晩、とてもリアルな夢をみた
1年近く
いやもしかして、根源的にはもっともっと長いあいだ
ずっとひっかかってきたことに
かかわることで
登場人物も実在の人で
夢にしてはつじつまが合っていた。
大体、私はあまり夢を見ないし
たまに見ても前後が繋がらなくて、意味不明だったりする。

とても具体的だけに
そのことをここでそのまま書くわけには
いかないのだけれど
その夢を見て、朝起きたときの気分みたいな
もっともわもわとしたムードを
どうにかしてとどめておかないといけないような気がして
ここに書いておこうと思ったのだ。

その夢のことだけでなくて
普段出会う、色んなできごとにおいて
とても大切な何かが
そのもやもやの中に
ちらちらと見え隠れしているようで
それははっきりと見えないけれど
とてもきれいなもののような、
そんな気がしたのだ。
それはそのままおいておいたら
淡雪みたいに消えてしまうし
その後
確実に忘れてしまうようなことなのだと。

それはたとえばこんなことだ。

きれいな小鳥を見つけたから
大喜びで近寄って口笛を吹いたら
その小鳥は猛然と攻撃をしかけてきた。
私はあちこち傷だらけになって
泣きたい気分になる。
だって、私はその鳥をつかまえたり
傷をつけたり
さらに食べてしまったりしたいわけではないからだ。
ふつうなら飛んで逃げてしまうだけのはずなのに。
どうしてこんな目にあうんだろう。

でもそのあとで、
その小鳥を見つけた場所のすぐ近くに
きれいな卵の並んだ
かわいらしい巣を見つけるのだ。

なんだなんだ
そんなことなら
はやくそういってくれればいいのに。
そうと知っていたら
できるだけそちらに近寄らないように気をつけるし
蛇や狐が近寄らないように
見張ってあげることだってできたのに
と。
そんなことを思うけれど
鳥と話はできないのだから
しかたがない。

大体、攻撃の裏には
そのひとがとても大切にしている
なにかが隠れているし
沈黙の裏には逆に
どうしても伝えたいことが
たくさんあふれかえっているのかもしれない。
それなのに
多くの人がその答えだけを
あらかじめ伝えなかったり、伝えられなかったりすることには
何の意味があるのかと考える。
たぶん、本当に伝えたいことの
その核の部分を
洗い出して、日の目にさらしたところで
理路整然と説明したところで
ほんとうに伝わりはしないのだと思う。
それをすると
その核の部分が弱って
死んでしまうのかもしれない。
その核を大切に思えば思う程
そんなことはできないのだろう。

その思いを受け取る人は
複雑な糸を自分でほどいてみないと
ジクソーパズルを自分で全部並べて
遠くからながめてみないと
本当の理解なんてできないし
核の部分の大切さに気がつくこともないのだろう。
実際、
本当の理解、なんて永遠にありえない
ただ、何かが伝わる瞬間があるとすれば、
それは理解というよりも
腑に落ちた、というようなことなのかもしれない。
それはたとえば
泥水をぐるぐるとかきまぜて
すべてのものが静かに水の底に沈むまでは
訪れないことなのかもしれない。

今いちばん小さなほこりのようなかけらが
ゆっくりと沈んで行くのを
見たのかもしれないと思う。

それでもただ
その静かさみたいなもの
今度は自分の中に残ったその核
みたいなものを
はたしてどうしようか

そんな風に
またもや戸惑ってしまうんだけれど。