くもの糸を切るような

普段から
一方的な批判や否定がちらつくと
なんだかすごく気持ち悪い。
なんでだろ。
たとえば誰か
あきらかに間違いだとか
勘違いはなはだしい
とか思えることをいったりしたりするひとがいたとして
そういうのを目の当たりにしますと
やっぱり
あああ
とは思うんですが。
ぐったりと脱力したりもする訳ですが、
だからけしからんとか
なんてバカなことを
とか
そういう切り捨て方をしたくない。
感情的になって
つい毒を吐くことはあっても
それでスッキリしたり、気がまぎれたりすることなんてない。
なんていうかな

その「あきらかに間違っている」
っていうことだって
それは少なくとも、
こちらから見た場合であって
別の角度から見たら?
全方向的に見て
間違いだと
自分の立ち位置以外から見てもいないのに
果たして断言できるのだろうか?

それがわかりもしないのに
短絡に否定してシャッター閉めたら
それで終わりじゃん。
と思うのだ。
そんなことしてたらさ
戦争はおわんないんだよ

そこにある何か
全体のゆがみ
自分を映している鏡である誰かの
その不快感は自らの内にもあるものじゃないと
言い切れる?

否定じゃなくて
別の提案で
根本的な問題までゆっくりと降りて行きたい

否定して終わりとか
問題から逃げるとかいうのは
なんだろ
蜘蛛の糸をちょんぎった
カンダタみたいに
自分も結局同じ所に落ちちゃうだけのような
そんな気がするんだよね。