ロマンティックに生きようと決めた理由

先日、永井宏さんの訃報がとどいた。
何度かお会いしているし
すこしだけれどおはなしをさせてもらったこともある。
おととしだったか
東京であてもなくふらふらあるいていたら
たまたま通りかかったギャラリーで
永井さんが展示をしていて
たまたま永井さんご本人がいらして、
大阪で1〜2度リーディングを聞きに行ったことがある
という程度のうっすらした面識の私に
おまんじゅうとコーヒをふるまってくださった。
洋服なのに足袋と下駄履きという謎の風貌の私を見て
あやしいねエ
とわらっていわはった。
体調が悪いときもある。
とは聞いたような気がするけれど、
ツイッターで流れて来た訃報には心底びっくりした。
永井さんをとりまいてた世界は
キラキラして見えて、自分のどろっとしたムードとは
どこか相容れない感じがあったので
惹かれるものがありながらもちょっと遠巻きに見ていた。
ちょっと違うかな、と思うのに、
何冊かの本をなぜか手放せずに手元に置いていた。
ココロにひっかかったいくつかのコトバ。
「ロマンティックに生きようと決めた理由」
これは永井さんの本のタイトル
ここ数年ですこしづつ意識を変えて来た中で
そうか。
と思った言葉のひとつ。
目の前に選択肢があれば、よりロマンティックな方を選ぶ。
というふうにしてみようと思った。
古くて抜群にかわいいけれど、使い勝手の悪いコーヒーミルを使うとか
保険をやめてしまうとか
水たまりにはあえて入るとか。
たんぽぽの綿毛を吹き飛ばすとか。
ふざけてなんかいないし
それぞれ大真面目に取り組む。
そんな風にしてもいいんだよって
いってもらった気がしたのだ。
そうか。
亡くなった人の意識はいっきに拡散するんではないかな
と、私はうすうすそのように思ってる。
とくに魔法使いのような人の場合
自由に飛び回って
どっかでだれかのココロのスイッチを入れるのかも
などと。
そんな風に思ったりもする。