光の中のホコリ

突然
ふってわいたことばだけが
真実を語ると
いつか誰かが云っていた。

天からはらりとおちてくる
だから言葉はことのはと書くのかな。
たびたびぽわんと
頭の奥に浮かんで来る
それは自分自身の考えというよりも
どこからかやってきたことのようで
そのメッセージをどうしたらいいのか
いつも迷う。
たまに人に話してみるけど
うまく伝えられたためしがない。
その、理屈ではよくわからないけれど
とつぜん浮かんで来て
または何気ない誰かのひとことの中で
ふいに引っかかる
そうだ。
とおもうことを
そうじぶんが思ったのと
同じように誰かに伝えるのはとても難しい。

だって、そういうことばは
大抵説明的ではなくて、
なにげない
みじかいことばだったりするものだから。

たとえば
世の中に足りない物も余分なものもないってこと
ばくぜんと、そんなことを思ったことがある。
何をきっかけにそう思ったのか
それは思い出せないけれど。

奪われた、と思ったときは
いつかどこかから奪ったことを忘れていただけのことであり
よいことが起こった、
と思ったらどこかでお返ししなくてはいけない
ということ。
そこに気持ちのよい循環を作ることが
機嫌良く暮らして行く
というようなことではないか
と思ったこと。
そう思ってから、目の前で電車が行ってしまおうが
大事な品物を壊してしまおうが
たいして気にならなくなった。
もともと死ぬ事がこわいと思ったことはないけれど
この考えを軸におくと何も怖い事は無い。
生き物の生き死になんて
ホコリが光の中にあるときだけ見えてるのと
さして変わりがないのだと
河井寛次郎さんが娘さんに話されたと聞いた事があるけれど
今になってすごく腑に落ちる話だ。

世の中、一瞬を切り取ると偏ったり乱れたりしているけれど
うんとフォーカスを引いてみると
奇麗な模様が浮き出るのかもしれない。
今無いことは別のときにあることかもしれない。
何かが凹むと何処かが飛び出すってこと。
余分に失ったと思われるものは
いつか戻るということ。
よいものを渡すと
よいものがもどるということ

そういうふうに考えるならば
何かをどこかから一方的に奪う
というのは非常にキケンな行為じゃないだろうか。

そのココロは
最終的にすべてプラスマイナスゼロ
ってことかな。
ああこれってどこかで聞いたようなこと
とおもったら
般若心経かもしれない。