ことしのこといろいろ

今年はいろんなことがありました。
地震津波
東北の土地や人々に
はかりしれない大きな被害と
かなしみをもたらしたのですが
直接の被害を受けなかった地域でも
多くの人の心をゆさぶったのだろうな

そんなことも思います。
漠然と
日常は続いていくと
信じるともなく、疑うこともなかったのですが
少なくともあの日までは
明日、どうなるかわからない。
ということ
そんなこと、実はこれまでだって
あたりまえにあったことなのですが
うかうかと
日々を浪費していた私の前にも
つきつけられた
そんな年でした。
そうおもうと
いろいろな約束を
いろいろな夢を
たあいもないことをいいわけにして
あちこちに置き忘れていることに気がつきます。
置き去りにしていいようなものは
何もなかったはずなのに。
そのいとおしいなにかを
ひとつひとつ
できるだけ拾ってまわらないと
そのひとつひとつに
誠実な答えを見つけて行かなければ

そんなふうに思います。

24日
クリスマスイブに
私の大好きな恩師が亡くなりました。
私が3歳の頃からお世話になっていた方で
見た目は小柄な方でしたが
私にとっては大きな大きな方でした。
先生はキリスト教を信仰しておられたので
式は教会でとりおこなわれました。
牧師さんが、先生と親交が深かったからでしょうか。
これまで参列したどの葬儀よりも
とてもあたたかく愛情に溢れたものでした。
「神のみもとに召される」
という祝福されたできごととして
死をとらえるということは
残されたものにとっても救いであると
そんな風にも思います。
さみしいのは残されたものの方なんでしょう。
おもいかえしてみれば
先生はちいさいわたしのなかに
いろんな種をまいたのでした。
今私のなかにある
考え方や想いというものが
私の中から勝手に湧いて出たものでもなく
そんな種たちが
私というの土のなかで好き勝手に芽を出し
あちこちに枝を伸ばして
一本の樹のように
かたちづくられたものなのかもしれません。
そして誰かから受け取った
種のような思いは
それをまたどこかに撒いて
育てたくなるようなことなのかもしれません。

その受け取ったものが
大切だと思えれば思える程
手渡すことを、とめてはいけないと
そんな風に思います。