内観

すべてのヒントは自らの内側にあると
そう思うと、無駄に悩まなくなりました。
以前はもっと、意味が分からないけれどだるい
とか
イライラする
とか。
そういうことがあったように思いますが
その原因は病原菌やら
だれかの一言ではなくて
自分の中にあるなにか
ではないか
と、そこをよくよく考えてみると
何のことはない。
自分の機嫌をとりそこねているだけのことだったりします。
体は正直だなぁと
つくづくそんなことを思います。
レオナルドダヴィンチの手記
という本を読むと、
前半、わりと養生訓じみた記述があるのですが
インスピレーションを自在にあやつる彼のような人物が
どうやってその直感と創造性を維持していたか
その秘密をかいまみるような気がしました。
要は
赤ん坊のように
裡からの欲求を極力曲げない
ということを基本に置け
ということだったりするのかも。
たとえばそれは
トイレに行きたい!と思った時にすぐ行く
とか
お腹が減った!
と思ったら
すぐに食べる。
とか。
そんな、ごく単純な要求だってそうです。
赤ん坊の時は当然のようにしてきたそんなシンプルなことが
大人になるにしたがって
不思議とできなくなっているのだと気がつきます。
でもちょっと思い出してみていただきたい。
世で天才
と呼ばれる人の多くが
気まぐれ
ワガママ
という評判を得ているということを。
ワガママってのはつまり
自分の欲求に正直
ということで
その自分の欲求
というのが、
きちんきちんと几帳面にするのが気持ちのいい
という場合と
ランダムに直感的にやりたい
という場合と
その方法や満足のいく着地点というのはその人によりけり
なのですから
回答がひとつしか無い数学とは訳が違うということで
そうするともう
他人から教えてもらう方法論なんてのは、ナンセンス。
答えは自分に聞くしかない
という訳。
内なる赤子をあやすように
何が欲しいか聞いてみないと。
それが例えば他人の迷惑になるような要求なのならば
それはいつか他の要求を封じ込めた
そのゆがみのようなものが表れているだけかもしれない。
根気よく、ぐちゃぐちゃにからまったヒモのような
じぶんのココロを
順番にほぐしていけば
いつしか
機嫌の良い赤ん坊に戻れるのかもしれない。