ふたたびツイッターについて。

ウチにテレビがありません。
新聞も読みませんので
現在の所、私が頼る情報源といえば、ラジオとインターネット
そして一番信頼をおいているメディアはといえば
身近な人達と会話です。

インターネットは、メールのやりとりや
気になることを検索で調べるのに使う程度でしたが
去年の3月頃、なんとなくはじめたのが
ツイッターです。
過去に片足だけつっこんだことのあるミクシィ以来
(これは何故だかなんとなく気味悪くなり、すぐにやめてしまった)
久々のソーシャルメディアデビューでした。
ツイッターの画面は、だれかのつぶやきが川のように流れていて
その様子は見るたびに違います。
同じように次々に新しい情報が
流れ着くしくみのメディアにはテレビがありますが
それらと違うのは、
発信元が個人で組織であっても、
発信しているのは、特定の誰かひとりのヒトであるというところ。

一方、テレビの発信元は主に大きな組織です。
特に私たちが普段目にすることが多い
大手の民放局から情報を発信するのには
たくさんのお金が必要なのですから
その情報編集の軸は制作費を支払うスポンサー
ということになります。
当然といえば当然。
発信の動機が「何かを伝えたい衝動」ではなくて、「経済活動」になると
そのお財布に逆らうようなことはできなくなります。

そこいくと、ツイッターというメディアは
そんな「メディアの常識、大人の事情」から
一番離れた所にあるメディアです。
とりあえずいまのところは。

お金儲けのための嘘や、気分の悪くなる様な悪意のこもったツイートも
たぶんどこかで流れているんだろうけど
私のタイムライン(フォローしているヒトのつぶやきが時系列で表示されている画面)
に表れたためしはない。
(そもそもその手のツイートを流すアカウントは絶対フォローしないので)
つまりは、情報の発信元を選んで
ニュースを編集しているということ。
フォローしているヒトの構成で、その人の信条とか
感覚が大体わかろうというもの。
これはチョット怖いともいえる。
誰かの本棚を覗くと、そのひとのことが
なーんとなくわかるような気がするけど
それに似たことがあるかな。
恥ずかしいといえばはずかしいけど
仲間を発見するにはすごく好都合。
この曲の歌詞みたいにね

 きのあうともだちって
 たくさんいるのさ
 いまは気づかないだけ