ふろしきひろげました。

お天気も心配されるなか
当日はおかげさまをもって晴天。
お客さんもたくさん。
アースディというイベントを知らずに
にぎやかな様子に、「何だろう?」と覗いてくれた方もいたみたいですね。
そういう人の方が、かえって何か
そこにたどり着くべき意味
みたいなものがあるのかも。と思ったり。
あなたが欲しかった何かが連れて帰っておくれとばかり
そこにあったりしたのではないでしょうか。
私も、いろいろと持って帰っていただき
そして、春にぴったりの上着をいちまい
大切に持ち帰りました。
びっくりするほどかわいくて、着るのを楽しみにしています。

ふろしきをひろげてくれた方、またそこに置かれたモノたちを持って帰ってくれた方
ありがとうございます。
めでたく手放しに成功した方には
きっとあたらしいモノとの出会いがあると思います。
あたらしい、といっても、新品の、という意味ではなくて
そうだなぁ
それこそ、こちらのことばでいう
あなたに「ぼっちり」の何かであることは確かかと。
高知以外の方のために解説しますと、
「ぼっちり」とはピッタリ。とか、ちょうどいいとかいうニュアンスの言葉です。
(あってるよね?間違いがあったら指摘してクダサイね)

「ぼっちり」なモノゴトをていねいに探し集めると
そこに、ほんとうの自分が浮かび上がるような
そんな気がするのですよね。
人が感じているストレスっていうのは
その違和感に封をして、経済性を基準に生きたり
自分以外の誰かが望む人物像を演じたり
そんなことをしてるのが原因かも。
でも、とか、だってとか。
そんな言い訳を言い訳と認めた上で
私も自分だけの「ぼっちり」
をちゃんと探したいと、あらためて思うのでした。