じぶんのしごとを作ること まほうのはじまりのこと その1

この広がらない感じ、
同じ所をぐるぐるまわってる感じはなんなんだろうって、
あの災害の後、たびたび考えています。
デモに行っても、原発自然エネルギーの勉強会に行っても、
そこにあらわれるのは、私を含めて、
同じ趣旨の別のイベントでも見た顔ばかり。
既に意識のある人にしか伝わらないのならば、
私たちは何の為にそんなことをしているのかな?
只の自己満足?それとも仲間内で同調して安心したいだけ?
もしかすると人々の間には、
利害や立場によって越え難い壁がどっしりと存在していて、
それはどうしようもなく、取り除けないものだったりするのかな?
そんなことをぐるぐると考えるうちに、
私はしだいにデモや勉強会から遠ざかって行きました。
もともと、人ごみが嫌いで、大勢で声をあげたり、
不安なことばかり話題にすることが、どうしても好きになれないのです。
だからといって、
次々と起こる理不尽な決定や、
おかしな現状をただやり過ごすのも嫌なのです。
この袋小路に、以前と同じ事をしていても変化はないのだ、
ということは、なんとなくわかっていました。
でも、どうやって?何を変える?
そんなところで足踏みしながら、またぐるぐると考えてしまいました。
そうして自分の出した答えは、
結局、自分と自分の暮らし方を変えていくことだったのです。
そして、(ここが重要ですが)それだけじゃなくて、
そのことは誰にでも真似ができて、
これまでのやりかたよりもずっと楽しい事だと
証明して見せることができたなら、
批判や抗議では動かなかったものさえ
ぐらぐらと動き出しそうに思ったのです。


私は以前、もう3年以上前になりますが、
大阪でわりと堅い会社の会社員をしていました。
今の私しか知らない人が聞いたら想像しにくいと思いますが、
神戸市内の小奇麗な分譲貸しのマンションに住んでいて、
快適に暮らして行くには、たくさんのお金が必要だと思っていました。
思い込んでいました、といったほうが正しいでしょうか。
仕事だからと、自分が望まないことも我慢して、
その対価としてお金があるのだという発想です。
子どもの頃、気のすすまない勉強をして、
いい点数をとったらご褒美がもらえるという、
その延長線上で、ゆがんだ因果にとらわれていたのかもしれません。
子どもの頃からの理想の住処は山奥の一軒家で、土に触れながら、
好きな作物や生き物にかこまれて過ごしたいと思っていました。
たとえば、絵本作家のターシャ・テューダーや、
「西の魔女は死んだ」というお話に出て来るおばあさんのような暮らし。
でも、現実には毎朝、ゆっくり朝食をとる暇もなく、
満員電車にゆられて都心の職場に向かい、
帰宅は夜遅く、疲れきってきちんと食事を作る気力もありませんでした。
週末は北向きのルーフバルコニーにせっせと土を運び込み、
鉢植えばかりが増えていきました。
どんどん大きくなるブルーベリーの木は、
私がひとりでは持ち上げられないような大きな鉢からはみだし、
もっと広い所に植えておくれよと訴えます。

もうちょっと働いてお金を貯めたら、
田舎に家でも買って会社をやめようかな。とか。
そんなことも考えましたが、それはいかにも漠然としていて、
全然具体的に実行できそうにはありませんでした。
自分にそんなことができるという、
イメージが持てなかったのだと思います。
ターシャにしても、西の魔女にしても、
おとぎばなしのように遠い存在だったからでしょうか。
それでも同じ会社で8年働いて、
そのまま会社勤めを続けることを
ポジティブに捉えられなくなってきていた、そんなときに、
不思議な出会いがありました。


それはドミノがぱたぱた倒れるみたいにして起こりました。
はじまりは職場の仲間が、東京出張のついでに立ち寄ったギャラリーで、
とあるうつわ屋の店主の女性に出会ったことでした。
その方から近く京都でも展示を企画していると聞いた同僚は、
その京都の展示に一緒に行こうと、私を誘ってくれました。
短大で陶芸の勉強をしていたこともあり、
元々うつわに興味があった私は、
よろこんでついて行く事にしました。


京都の書店でひらかれていたその展示では、
生活の中で実際に使われていたうつわを展示していました。
その使われたうつわは展示されているだけで
販売はされていませんでしたが、
近くのスペースで売っている新品とはまったく違う存在感で、
欠けていたり、シミがついていたりしても、
それがかえって美しいと感じるものばかりでした。
手作りの陶器なので、まったく同じ物はないにしても、
同じつくり手の同じような作りの新品のうつわと見くらべると
不思議なほどの変わり様です。
たとえば、プラスティックのうつわは買った時が一番キレイで、
時とともにみすぼらしくなっていくように思いますが、
そこにあったうつわは、時と共に美しくなっていくもののようでした。
昔から、茶道の道具でそんなことがあったように
「古色がつく」っていうことですねと、話をすると、
そのうつわ屋の女性は、にっこりとして、
翌週に大阪でひらかれる別の展示のオープニングに来てみたらと
誘ってくださいました。
それは、ある作家の方の個展だったのですが、
その方のことはまったく知りませんでした。
そんな私たちが、オープニングに参加してもかまわないのかな?
ともおもいましたが、
なんとなく何かあるような気がして、
当日の夕方、同僚とふたり、いそいそと会社を出ました。
そのギャラリーに向かう道すがら、ふと、
「ねぇ、今思ったんだけどさ、嫌なことはしなくてもいいんじゃないかな?」
と、その同僚につぶやきました。
同僚は「えっ?」という反応で、
その時は、それは違うと思う、というような返事がかえってきましたが、
たぶんその時から、自分の中にその「嫌なことはしない」ということが
ぐるぐると渦巻きはじめたように思います。
しばらく歩いてギャラリーのドアを開くと、
おいしそうな料理のにおいがしました。
楽し気な色絵の器に盛られた野菜料理がたくさん用意されていたのです。
聞くと、私と同世代の料理人の女の子が作っていて、
彼女は料理教室をひらいたり、その時のように、ケータリング
※他所のお店や家庭など、いろんな場所に呼ばれてその場で料理をすること
をしたりして、暮らしているということでした。
お料理は独創的で美しく、食べるとしあわせな気分になりました。
そして、しばらくすると、会場にあのうつわ屋さんがあらわれました。
お料理をいただいて、うつわ屋さんと話をすると、
彼女はまた、近く明石のギャラリーで開かれる予定の、
ある布作家の展示に行ってみればとすすめて下さいました。
「あなたはユミさんと気が合うと思うから」
と、おっしゃるのです。
またもや私がお会いしたこともなければ、
作品を見た事もない作り手の方のことでしたので、
その時はきょとんとしたのですが、
後日発売された、その「ユミさん」の本を手にして驚きました。
その本の中には私がこんな暮らしをしてみたい、
と思っていたような世界がぎゅうぎゅうに、
これでもかというほどにあふれていたのです。
そして、そのうつわ屋さんの女性は、その本の編集者でもあったのです。

**次回につづきます。