お金のこと

先日の続き、、は次回以降に
ということで、今日は別のことを書きます。
それはずばりお金についてです。


お金というものについて、最近よく考えます。
確かに無いと困るし、不安です。
でも、そもそもお金というモノは何なんだろう?
なんとなく毎日使っていて、そんな風に考えてみたことがある人が
どれだけいるでしょうか?
毎月毎月、ほぼ決まった額が振り込まれる仕事をしていると
わかりにくいことですが、
寅さんのように、いつどれだけお金が手に入るかまったくわからない
という仕事のやりかたをしていると
不思議なことに気がつきます。
お金はかなり絶妙なタイミングで廻ってくるのです。
それも貯金があるうちは気がつきませんが
限りなく手持ちが0に近づくと
それは面白いほどよくわかります。
ああ、明日迄の支払いがあるけどどうしようかな
と思ったところで、ずいぶん前にした仕事の報酬が入ったり
今日はあんまりおかずがないや
と思ったタイミングでおいしいものをいただいたりするのです。
そんなにうまくいかないよ。と笑う人もいるでしょうが
うまくいかない場合は、大抵、自分が持っている借りを
返していないとか、何かをごまかしているからなのです
(と、もう言いきっちゃいますヨ!)
ではお金を沢山持っている人はどうなのか?
という疑問が出てきますが
目的もなくやみくもに溜めている場合は、先の感覚をつかめないばかりか
「お金は水」という言葉通り、よどんだり、腐ったりするんだと思います。
つまりはよどんだお金を使って何を買っても、満足できずに
消費を繰り返す、所謂「死に金」になってしまうということかもしれません。
(嗚呼、このあたり過去にはかなり身に覚えのあることですが。。)
そして「悪銭身に付かず」という格言の通り、
嘘の手段を使って得たお金についても同じことがいえそう。
一方でお金を沢山持っていても、しあわせそうなヒトを観察すると
そんな人は大抵お金をどんどん使っています。
しかも、それはよいモノ、よいことに対して使われているように思います。
そして動いているお金が大きくても、瞬間0に近くなっていたりします。
その流れが速いので見えにくいのですが、
こういうヒトは一時的にマイナスになっても
案外けろっとしているのが特徴です。
世の大富豪と呼ばれる人が、芸術家のパトロンになったり
公共事業に私財を投じたりするのは
お金の機嫌を良く保つためで、
彼らはそれを直感的にわかっているからではないかと
そんな風にも思います。
お金について、私自身が、
ぎりぎりまで手持ちを減らしてみて、わかったというか
なんとなく腑に落ちていることは、
ほんとうに生きたお金というのは、どこかから奪って来るものではないし、
きちんといいことに使えば、一方的に減るものではない
ということでした。
お財布の中身ばかり気にして、支払うべきものを支払わないと、
後でその分は別の所で徴収されてしまう気がします。
たとえば、道ばたで見知らぬ人のお財布を拾って、しめしめと懐に入れた場合、
別のタイミングで、それと同じぐらいの何かを落としたり、
奪われたりするということです。
それぐらいならはじめから払うべき方向に払っておいた方が賢明というか、
気持ちの上でも、おだやかでいられるのではないでしょうか。
そして、悪い方法で得たお金は、悪いものをもたらし
良い方法で得たお金は、良いものをもたらすと
この辺は漠然とですが、強い確信を持っていえることなのです。
だからお金はやっぱり水に似ています。
何にでも染まりやすく、
気持ちやムードを伝達しやすい性質のものなのだと思います。
お金は大事に。だけどけしてしまい込まずに、よき旅に出して。
それがまた、よき方向から帰って来るのを待つことにします。
気持ちのよい流れを作りたいなぁ