骨壺展、終了しました。

この展示の店番をするというのは
たいそう不思議な経験でした。
丁度お彼岸の時期に寺という場所に居て
はじめて会う人々と死にまつわる話をする。
仮にそういう機会を求めたとしても、
なかなか簡単に体験できるようなことではありません。
骨壺という通訳機のようなものをはさんで
そこを訪れた人は、ごく自然に死に関する話を語りはじめます。
それぞれの死生観。
いずれ来る自分の死、
既に亡くなった身近な人の話。
前にもここに書いた事がありますが
私自身、死、それ自体を怖いと思った事はありません。
痛みや病はもちろん怖いのですが
それは死を恐れることとは全く別の問題だと思うのです。
そう思う根拠のようなものはつまり、
冬が終わるとあたりまえのように春が来るように
いろんなものが巡っているということであり、
むしろ魂だけが巡らないのは
やっぱりおかしいような気がするからなのです。
ただ繰り返すことに何の意味があるのか
それを考え始めると
そこで簡単に答えが出てくることはなく
遺伝子は螺旋を描いて、同じ場所に戻るように見えて
以前よりも上に登っているのだと
かつて友達が教えてくれたことを、ふと思い出すのでした。
細部の拡大が全体の縮図に重なって行くということが
DNAの形の中にも見いだせるような気がします。
何かがわからないと思った時に全体をみわたすよりもむしろ
細部に気をとめること
ごくちいさな何かを動かすことが
いずれ大きな歯車につながるようなこともあるかもしれません。

骨壺展はこのあと、鎌倉のうつわやさん
utsuwa-shoken onari NEAR でも開催されます。興味のある方は是非。
http://utsuwa-shoken.com/near/index.html