水のくに

二階の窓から外を見ると
見えるはずの正面の山がまったく見えない。
もっと手前の棚田の上あたり
真っ白のこまかい水の粒子がさらさらと風に流されているのが見える。
すごく不思議な光景。
麓から見ればたぶん、このあたりはすっぽりと
雲に覆われているように見えるんだろう。
梅雨に入ってしばらく雨も降らなかったけれど
その後、いっきにまとめて水が押し寄せた感じだ。
ここのところ一週間も降り続く雨で、あたりは水浸しになっている。
まっしろな霧は家の隅々に入り込んで
あらゆるものに水を与え
家中のものがカビたり朽ちたりしはじめる。
こんな時に、日本人が昔から使って来た素材や
家屋の構造のありがたさを思い知る。
それは、冬の寒さを防ぐということよりもむしろ
吸湿性と風通しを重視してきた、
そんな工夫のことだ。
漆器、陶器、土壁、イグサの畳、ふすまや障子などの紙の建具、すきまだらけの構造。
今住んでいる家の2階の部屋は、母屋よりも新しく
私が産まれたのと同じ頃に、この家に継ぎ足されたものらしく
新しい建材と現代的な工法が使われている。
そして壁紙と砂壁はあちこちはがれ落ち
壁の合板はぼこぼこと波打っている。
スレートの瓦が載った屋根はあちこち雨漏りしている。
さらに合板の壁と外側の壁の間には
大雨で水浸しになった野外を逃れて入り込んだ鼠が巣食い、毎晩走りまわっている。
わははと思う。
昔の大工さんの勝ちだ。
土壁と木材は湿気を吸ったり吐いたり、常に呼吸をしている。
一方、新しい建材に使われている
プラスチック系の資材、合板の接着剤やアクリル塗料は
水を通さないけれど、水は表面に結露してそこに留まり
結局は木材よりも湿気を呼んで、そして閉じ込める。
畑でよく使われている、マルチングというビニールの資材の役割は
雑草が生えないようにする、ということの他に
水気を逃がさないということがあるけれど
それと同じ事を家でやるような感じ。
私は雨合羽が大嫌いだ
試しにビニールのパンツでも履いてみるといい。
その不快さが鍵だと思う。
いつまでも土になじまず、朽ちもしない。
それがいいことかどうか。
木の朽ちる匂いと、水気があるままごみ袋に入ったプラスチックゴミの匂いの違い。
意味を考えずにプラスチックを私が避けて来たことの意味は
その見た目ではなくて、肌が感じるそんな違和感だったように思う。
便利で安価という目先のまやかしは
その違和感だけで見破れたりする。
何かの効果を測るのに、データ収集したり分析したりするには時間や費用がかかるけど
感覚を得るのは一瞬のこと。お金なんていらない。
それを根拠の無い気のせいと思うかどうか。
どんな研究より誰かが蓄積したデータより
私はこの瞬間、私の体が感じるその感覚の方を信じているし、正しいような気がしている。
ただし、その感覚自体は随分なまくらになっている。
私たちを取り囲む情報が多すぎるせいなのかもしれないけれど。
くりかえし頭の中で鳴り響くこのことば
考えないで感じろ!
という有名なあの人の台詞でさえも
感じる力がなければ本末転倒というところか。