螺旋をえがいて

今日、師匠にお話してみたとあるフワフワ仮説
(根拠なし、検証ナシ、なんとなくといういつもの)
ですが、それにしてもフンワリしすぎやなぁ
というモヤモヤ感。
自分の中で整理しておくためのメモのように
此処に書いてみることにいたしました。

その仮説ってのはつまりは
植物の種子のように
ニンゲンも母親の胎内にいる時の環境でもって
性質が変わるのではないか?
というハナシで。
たとえば南の方から流れ着いた種を、ちょっと寒い所に植えるとする。
寒くなるにつれて枯れて死んじゃうのが大半かもしれないけれど
たまにがんばって生き残るヤツがいる。
それで、その種が次につながって、その土地の気候に適応した、
新しい特徴を持った植物に変化していくということがあって
動物の進化でもこれは同じことがいわれます。

私が生まれた年はオイルショックの年でした。
母親のお腹の中にいながら、その不安で不穏なニュースは、
その時、羊水の中にぷかぷか浮かんでいた
赤ん坊達に何らかの影響を与えただろうか?という
つまりはそんなハナシ。
植物の例を適用するならば、
不足する物資や、エネルギーに関する不安を
「なんとかせねば!」というような
使命というか要素を組み込まれた種が、他の年よりも
少しは多く排出されたんでないかと
そんな仮説を立ててみたり。
さらにいうと、もしかすると、その問題を解決するのは
さらに、その次の世代になるのかも
と思ったり。

もうすぐ震災から一年が経過しようとしています。
あのできごとは戦争ではなかったのだけれど
インパクトとしてはそれと同等か
それ以上の出来事だったような気がしています。
それで生命は
それをこの先どういう風に解釈していくのかなと
そんなことが気になります。
遺伝子というヤツは
螺旋を描きながら、上の空間にのぼっていきます。
一周したその先は
2次元的に見たなら
まったく同じ場所のように見えるのですが
実は同じ場所ではない訳で。
視点を変えることができるのは
その位置にたどりついた時
そのときはじめて見えるものもあるのかもしれないなぁと
またもやぼんやりと締めたりするのです。