あたらしい遊び 其の二

あそびをせんとやうまれけむ たはぶれせんとやうまれけん あそぶこどものこえきけば わがみさえこそうごがるれ

ずっとまえに聞いて以来、ずっと心に引っかかってきたこの歌は
後白河法王が編纂した
梁塵秘抄の中の有名な歌だそうです。

私もこれを書くにあたって、改めて調べてみたのですが

この梁塵秘抄は、白拍子っていう
男装して舞や歌を奉納する女性達の歌った
「今様」という歌謡を集めたものだったらしく、
アイドル歌手と巫女さんと宝塚の混ざったみたいのかな?
うーんちと違うか。
(もっと詳しく知りたくなった人は、こちらなどhttp://blog.goo.ne.jp/seigo_goo/e/9010162f8335a105d0627615e969b348
なにしろふるいのですね。

と、ちょっと脱線。
今日何をいいたいかというと
そのことじゃなくて
またあたらしい遊びのことです。
先日紹介した、ブツブツねずみ講(?)
はじわじわと広がりをみせております。
フフフ。思惑通り?
そこで今日も調子に乗ってもうひとつの遊びを紹介することにしますよ。

ネバーエンティングストーリーって映画
または、はてしない物語っていうその原作を読んだ人は
知っていると思いますが
この物語に出て来る、おとぎの国のファンタージェンは
その世界を信じる人がいなくなると
消えてなくなる。という設定でした。
でもこれは実は、実際にあることじゃなかなー
と薄々そんなことを考えています。
あ、おとぎの国のことというよりも(それもあるけど!と断言)
どちらかというと、もっと普段の些細なことにおいて
なんですけどね。
つまりは人間の視覚というのは、じっと注視したものは
他のモノよりも大きくクリアに見えるようにできてる。
それが意識においても
同じ事が言えるかもしれない
ってことです。
つまりは自分の信じる世界が自分の世界になっていて
その各個人の思う世界、
というのの集合体が今のこの世の中
ということになるんじゃなかな
ってそんなことです。
さらにそれをどう遊びに繋げるかというと
できるだけいいなぁ、とか、面白いなぁ、とか、美しいなぁ、とか
そういうこと焦点をあてて暮らしてみよう
ということです。
うーん???
それだけだとまだちょっとわかりにくいかもしれません。
実は私はこの実験をひとりで勝手にやっているので
普段していることの具体例をいくつかあげてみます。

そのひとつはまず
テレビを見ない。
あの箱からはかなしくなったり、腹が立ったり
なにしろ悲観的になるニュースがどんどん流れています。

今やネガティブ投影機といっても過言じゃないかもしんない。
それに最近は保険のCMばかり。
お金が沢山ないと困りますよ
とか
病気になるかもしれませんよ
とか
そんなことを日々、刷り込まれ、不安を煽られる訳です。
面白かったり、感心させられる番組ももちろんあるのですが、
あるとついつい色んなものを見てしまうので
とりあえず全部やめちゃうことにしました。

次に
ネガティブな話題を徹底して避ける。
代表的なのは人の悪口
自分で言わないだけじゃなくてできるだけ聞かないように
つとめます。
ある人を「悪い人だ」と、決めると
その人は「悪い人」になるような気がします。
でもそれを言語化したりしてクローズアップしなければ
その「悪い人」の存在は限りなく薄くなります。
これはすぐにできるし、実感として結構効き目があるのでおすすめです。

この遊びのまとめ
1.悪いニュースはできる限り聞かない、見ない。
2.いやな人、いやなできごとについては話題にしない
3.保険はかけない
備考:悪いニュースを見ない、というのは、たとえば、原発のことについて、見てみぬふりをせよ、ということではありませぬ。電力会社がけしからん、とか言うのをやめて、原発がなくてもなんとかなる、前向きな方法を話題にする、ということは是非するべき。批判じゃなくて、解決策を議論するのが大事。という訳で。「よくない」ということにクローズアップするんじゃなくて、「こうすればいい」ということにクローズアップしたいのであります。

実際これを試すと、
闇雲な不安やら、疑心暗鬼みたいな
憑き物がわりとばらばらと落ちます。(当社比)
世の中捨てたものじゃなくなる。
かも?