もののめぐりについて

ふろしきひろげまshow。
今年も終了しました。
それに関連してというか
もののめぐり、ということについて
最近思うところを。


高知に来てから、日々いろんな方向から、
いろんなものをいただきます。
四国という土地柄、お遍路文化の影響もあるのでしょうか、
贈与。ということが、都会よりも
もっと日常的に、活発に行われているような気がします。
ありがたいことです。
ただ、それは一方的に頂く、
ということではなくて、
あたりまえのようなことですが、
つまりはお互いに贈りあう、
そのくりかえしのもとに成り立っています。
そこで、わたし自身も、色んなものを
さしあげるというよりも、まわしているという感覚で
誰かに手渡しています。
そしてその中で、もうひとつ意識していることは、
人が何かをくださる。という場合、
余程のことでないかぎり断らない。ということです。
たとえばその贈り物が、ひとり暮らしには多すぎる何か、
だったとしても、ありがとうございます。
と、頂いてから、あとは一生懸命、それを保存できるように加工したり、
喜びそうな誰かに配り回っています。
一見、めんどくさいことですが。
どうしてそんなことをするのかというと、
それはひとえに、自分がそうして欲しいから、
ということにつきるかもしれません。
誰かに差し出した善意のようなものは、
たとえばそれが大根一本だったとしても、
いらないと言われると、ちょっと悲しいのです。
つまり、日頃からおせっかいが空回りしがちな自分の、
これも一種のエゴと言えるかもしれません。
だから、セールスや、あきらかに見返りを求める取引でない限り、
差し出されたものは、ありがとうと受け取る方ことにしています。
そうすることで、
もったいないお化けからの祟りを
免れているつもりなのかもしれません。
もったいないお化けに取り憑かれると
何を手に入れても満足できなかったり
大切にしていたものが壊れたりするのであります。(キッパリ)
心当たりのある人は
日頃の行いを省みていただきたい。(いやホントホント)
さてさて。こんなことをしていると、
自分の手元にあるものが、一方的に増える。
ということはありません。総量としてはほぼ一定。
それを会計士のようにシビアに、
すべてのものを資産として数字になおすと、
元より減っていることだってあるでしょう。
それでも私が、このやりかたを続けるのは、
その交流というか、交易のようなもので、
私の食卓やら、生活が、確実に豊かになっていくのを実感できているからです。
ひとりでおかずを何品も作るのはめんどうですが、
3人が一品ずつ持って、一緒に食べると、
労力と食べる分量はそのままでも、
おかずが3種類になります。それは食べ物のことに限らず、
他の色んなことについて同じ様なことがいえるような気がします。
ものごとの基本は常にプラスマイナスゼロ。
求めよ、されば与えられん。
ただし、自らが先に与えよ。
何かを不足に感じているとしたら、
何か持ちすぎているものはないかよく考えてみる。
余分な荷物を両手いっぱいにかかえていると、
必要なものが拾えない。
つまりは
手放すのも先手必勝である。
てとこで。