いいわけ

いいわけって悪いイメージだ。
いいわけしないのがカッコイイ。
しかして私は非常にいいわけがましい。
油断するといいわけしている。
いいわけなんてしなくてもいいように
直角真正直に生きる
というのができればいいのかもしれないけれど
ものごとを考えすぎていじくりすぎて
とうとう一回転したりしている私としては
その複雑怪奇な理由を説明したくなってしまう。
ああ全部ぜんぶ何もかも、理由があってのことなのです。
嘘も癇癪も冷淡も。
不和の原因は情報不足と誤解が大半である。
と、すくなくとも、私はそう思ってる。
相手のことを知らないと悪い方に悪い方に解釈してしまうことがある。
特に調子が悪かったり、気持ちが弱っている時
ささいなことに不安になる。
普段なら気にしないことでもすごく気になる。
袋小路に入って身動き取れなくなって
人を信じられなくなってしまう。
そんな時にたったひとこと
そうじゃないよと
言ってもらえたらと思う。
いいわけは、自分の間違いを取り繕うための
みっともないことのようだ。
できるのならなるべくは
「だって」っていいたくない。
「でも」も使いたくない。
「だけど」
いちいちいわなくてもだいたいくみとれよ
なんて、そんなの無理だ傲慢だ。
実際本当のことはうすうすわかってたとしても、
それを信じてもいいのかわかんなくなるから不安だ。
人のいやがることはしない
とか、割とあたりまえで簡単なことのように云うけれど
いやなことなんて
人によっても、タイミングによっても違うもんだ。
ヒトは本当のことはいわない、なのに嘘もつき通せないって
どこかで聞いた話。
なんてめんどうくさい生き物なんだ。