じぶんのしごとを作ること まほうのはじまりのこと その6

将来何になりたい?って子どもの頃色んな場面で、繰り返し聞かれたこと。
その時何て答えてたか、みんな覚えてるのかな。
それで、実際にその時の答えの通りになった人って、どれだけいるんだろう。

うんと小さい時は、
憧れだけで、なりたい自分を夢見ることができた。
限りない可能性と自由がそこにあるって感じ。
そのままがむしゃらに進んで夢を叶えた人もいるんだろうけど
多くの人は、なにかしら言い訳をして、
あきらめたり、忘れたりしてしまう。
かつてなりたかった、今とは違う大人の自分がいて、
どうしてそれを諦めてしまったのか、
いつのまに忘れてしまったのか、
そういえば私も、ちゃんと考えてみたことがなかったけれど
それでは、小さい頃の私に悪いような気がして、
古い記憶の引き出しをよいしょと引っぱり出して
埃をはらって
もういちどじっと眺めてみようと思ったのだ。

私が小さい時になりたかったものというのは、
お菓子屋さん、とか、お母さん、とか、幼稚園の先生とか、
そういうごく身近に接したことのあるものではなくて、
身近にはいなかったり、架空の存在だったり、
現実からは遠い存在ばかりだった。
それはたとえば、アルプスの少女ハイジだったり
魔法を使うチックルチーコやコメットさんだったり。
ムツゴロウさんやドリトル先生だったり。
そんな物語を書く人だったりした。

それがやがて中学生ぐらいになると、
それまでのように単純な憧れで
なりたいものを決められなくなっていた。
ハイジと魔法使いは現実の職業ですらないし、
獣医さんになるには、どうやら理数系が弱すぎるようで、
作家になるというのも、リアリティがなさすぎるような気がした。

実際に大人になってからは
子どもの頃の憧れの何かではなく
自分ができそうなことを仕事にしてきた。
いくつか経験した仕事はそれぞれに面白く
やりがいのある仕事だったけど、
子どもの頃に思い描いていた私とは、ずいぶん遠い所に
来てしまっていたようだった。
だけどある時、それに気付くと、
そこに居続けることへの違和感がむくむくと大きくなって、
そのまま無視することもできなくなってしまった。
結局カイシャを辞めて
今ではとうとう山奥に住んでいる。
(ハイジになるにはヤギもおじいさんもペーターも足りないんだけど)

仮に、生活に最低限のお金が支給されることになったとしても
それでも多くの人は働くことを選ぶと聞いたことがある。
生活のためだけに働く、ということがないとして、
それなら、みんなはどんな仕事を選ぶんだろうか。
みんなが好きな仕事しかしなかったら困るだろうと言い出す人がいると思う。
もちろんそれは私も考えた。
ただ、その状況で、誰もがやりたがらない仕事
というのは、そもそも必要のない仕事か
誰かがやりたくもない何かをやったために
発生してしまった仕事だったんじゃないだろうか。
そして、今の世の中で起こっている問題の原因の多くは、
やりたくもないのにお金の為だけにしかたなく
という仕事が世の中に溢れているせいではないかと思う。
愛のない消費は愛のない仕事を産むし
その逆も同じことなんじゃないだろうか。
たとえば
みんながハンバーガーしか食べなければ
野菜を作る人はそこで使われるための野菜しか作れず
器を作る人はそこで使われるような容器しか作れない訳だ。
世の中の食べ物も仕事もファーストオンリーになるって訳だ。
なんてつまんない世の中。
健康の為とかそんなことよりもずっと
そんな世界の実現が恐ろしいので、
私はできる限り自分で食材を選んで、自分で調理して、
外で食べるときは友達の店で食べることにした。
仕事はやりたいことしかしないことにした。
いまのところなんとかなっている。
でもこの先どうなるかは神のみぞ知る
である。
今を生ききることが
将来を作っていくんだろうけど
ふと立ち止まると不安だ。
そしてついつい立ち止まって固まってしまう。
時にそんな停滞もありつつも
それでもここまで来た訳ですから。
今月でまる3年になるんです。
そろそろ次に行かなくちゃと思うのだ。